2013年6月15日土曜日

ALIVE A RHYTHM

6月9日(日)。



ロックの日。







Twitterを眺めていたら、日本中でさまざまな素敵なイベントが行われていた。








僕はというと、
前回の中国地方ツアーですっかり大好きになった島根でのライブ出演が決まっていた。









ケンタ氏(→参照)のオーガナイズする松江発信のお祭りイベント『アライバリズム』に出演するためだ。













と、出発直前で、島根直行の高速バスの席が既に満席になっていることを知る。













(ピンチ。)















急遽OCTAVIOのモリモトくんに連絡して、OCTAVIOカーを借りることに。





バンドの活動休止に伴い、売却する予定になっている僕らのバンドカーだ。









モリモトくんが少しの間個人的に使用する予定があったそうで、まだ売却されずにモリモトくんのもとに残っていた。










安堵。





友達の車屋で買って、皆でお金を出し合って維持してきたバンドカー。



もうすぐ本当のお別れだ。仕方ない。けど、寂しい。









OCTAVIOカーに乗りこみ、島根の大根島へ。


ワンダフルボーイズの米子ライブのあとに打ち上げで来させてもらった、海辺のカフェHOME。





打ち上げ中にマスターが海でスズキを釣って振舞ってくれたという、 感動の思い出。








会場に到着。



前回は夜だったからはっきりわからなかったけど、テラスに出るとすぐに海が広がっていた。



凄まじく素敵なロケーションだ。






感嘆。








防波堤に特設したステージで、共演のSEBASTIAN Xがリハーサルを始めていた。





彼女らとはムジカジャポニカの打ち上げで騒いだ以来、久しぶりの再開だった。


いつだってSEBASTIAN Xはキラキラしている。エネルギーの放出が、無駄な装飾無くまっすぐなのだ。


薄く曇り切った空。








空は白く、海もまた、白かった。












美しい風景が広がっていた。












イベントがオープンするやいなや、たくさんの人が集まって来た。








チケットは2500円+1ドリンク別途、ではなく1BBQ。




会場に設置されたセットで、焼く、食べる、焼く、食べる。



イベント全体を楽しめる仕様。








こういうイベントは本当に大好きだ。








家族連れの方も多数。子供たちも走り回ったり、木のロフトに登ったりしていた。







ライブ後にハイテンションで声を掛けてくれた

DJ YOHEYBOYS




初期のASPをスピンしてくれていた

DJ KART


を経て、出番。









時間がかなり押していたため若干の短めセットで挑んだが、攻を奏したと思う。



1.KAEROU
2.FORKA
3.ATAMA DANPEN
4.NASSAU & GELTA
5.N'GOMA



曲間のミックスはDJプレイを真剣に聴くようになってから少し変わってきたように思う。


ピッチ合わせ・BPM合わせ、ヘッドホンで次のレコードを聞きながらそういった調整をしていることを最近になって知った。それで次の曲のベストな位置をスクラッチして調整して、ベストなタイミングでスピンさせる。




※時間押しまくってるのも何のそのので我先に一番楽しむオーガナイザー!

愛すべきケンタ氏






そしてDJキングジョー




往年のロックナンバーから流行のクラブシティポップ、アラレちゃん音頭まで、幅広くパーティ感溢れるプレイで素晴らしかった。




と、ケンタ氏。




アゲる。








アゲる。






アゲる。












自分のあとは森山らきあ氏の透き通った力強い歌。


GREEN PEACEのブラジルダンスミュージック。(少年も舞台に上がってめちゃくちゃ盛り上がった。)


DJエンペラー梅木氏


全力でキラキラなSEBASTIAN X。




大盛況で終焉。




お仏壇のCDはまだ発売されてないのだが、OCTAVIOや弾き語りのCDを買って声を掛けてくれた方々もとても興味を示してくれて嬉しかった。







会場のHOMEさんにもとても御世話になった。



本当に素敵な場所だから、遠方の皆様も一度、ぜひ足を運んでみてほしい。












打ち上げで聞いたが、島根のお仏壇と言ったら



お仏壇の藤田 と、お仏壇のひょうまだそうだ。





どちらもCMソングがあるらしい。




関西お仏壇の浜屋だ、という僕。(お仏壇のすみの)


と、




東京はお仏壇のはせがわだというSEBASTIAN Xメンバー。




三者入り乱れての大乱闘になった。(ウソ)




島根の皆さん、最高の一日でした。





島根、大好きだ。レペゼン島根、自分の住む街を盛り上げようと関わる人達を全力で愛し、全力で遊び、
そこに足を運ぶお客さんからも、舞台に立つアーティスト達からも全力で愛される熱い男がいる。





最後にオーガナイザー・ケンタ氏のTwitterコメントを勝手に引用。

-歳をとると遊ぶことが難しくなる。けども、求める確かな気持ちがあればいつだって日常に魔法がかかる。音楽や、人、素晴らしい場所っていうのはそういうの を確認できる場所。出演者含め、本当に素晴らしい仲間に巡りあえてることに感謝。アライバリズムやってて良かった。みんな本当にありがとう!-










ありがとう島根、



ありがとうアライバリズム!!






 





ごーーーーーーーーーーん

2013年6月8日土曜日

NORWAY IN MY LAND

Under the my land,

the sea shake me out.


Hah...


Dance ! with you.


Under the my skin,

the way you are.


Hah...


Hey ! miss you.



***************


いつか行った、ノルウェーの森。


















外国に行ったわけじゃない。









日本の、、あれは何県だったんだろう。思い出して調べてみる。






























そうだ、兵庫県の神河町というところにあるんだ。











数え切れないほどの木々に囲まれて、歩いたんだ。
















あれは、まさしく「森」と呼ぶのに相応しかったと思う。



































まだ季節は早かった。


春を待つ森は、例えるなら濁って乾いた白色だった。










360°の世界から鳥が鳴いていた。








道には小川が流れていて、その小川をひょいと飛び越えた瞬間。
















メロディーが降って来たんだ。















 森の中を行く、大柄でひげの生えた、娘を一人連れた低い声の白人の男性が歌っているようなイメージ。



娘を楽しませるために、男は道中ずっと歌を歌っている。そんなメロディー。
















あれからずっと、毎日のように僕の頭の中を流れている。






















そして、そのメロディーは僕の頭の中にある「島」の中をすっと流れている。
















今はまだ素っ裸でやわくて脆い、ほんの短い鼻歌だけど、















いつか最高の言葉と、それを繋ぐ他の音達と出会う、そのときが来たら、僕が何とかかんとかして形にするから、



















 そうしたら、



































外の世界に飛び出そう。

2013年6月1日土曜日

HAKOBUNE 【エピソード4】 かえろう。





むこうに、小さな島が見える。緑に囲まれた、本当に小さな島だ。



港に小さなボートが何隻か止まっていて、波間に揺れている。







堤防で釣りをしている人が見える。白い壁に、少しさび付いた色の灯台。
















僕たち4人の舟は、誰が決めたわけでもなく、吸い込まれるようにして、その島に向かっていた。

















1人が言った。












「ちょっと、休むわ。降りていい?」


















残りの3人が言った。


「うん。」




「いいよ。」





「そうしようか。」


























船出から5年、


大航海を続けた4人の舟はとうとう、立ち寄った見知らぬ島の船着場で、休息することになった。















港が近づいて来たところで、







1人が言った。







「僕たちはまた、すぐ漕ぎ出そう。」










1人はうなづいた。




「そうだな、そうしよう。」


















また1人は言った。













「いや、僕はこの4人でないと、もう、乗りたくないな。」





































やがて舟は、港に着いた。





そして、舟を降りる時に僕らは決めたのだ。



















「スミノ、モリモト、コジマ、タロウ。この4人が揃わなったら、もうこの舟には乗らないでおこう。」




















そういって、



4人は舟を降りた。





















舟を降りて、それぞれが別々の方向に歩き出した。























この先はそれぞれが、山に登ったり、歌を歌ったり、仕事をしたり、子供たちに音楽を教えたり。











4人がまた好きなようにそれぞれの生活を、始めることになるだろう。




















僕たちはまだ、同じ小さな島の中にいる。きっと、会おうと思えばいつだって、会えるはずだ。













けれど、また同じ舟に乗り込むかどうかは、



























誰も知らない。





















僕達はきっとどこにも行きたくなかったし、同時にどこまでも行きたかったんだと思う。





























おわり。



















************************

『かえろう』













乗り込む舟は もう消えた。











成り代わる偉い人 もういない。













星降る夜も 明けてきた。















交わらぬ二人は もういない。












「会いたくなったら、ここおいで。」
















頭ん中の小人たち そう言ったから


















信じてここまで やってきた。



















あたたかい場所まで もう少し。

















かえろう



















かえろう




















かえろう。

2013年5月31日金曜日

HAKOBUNE 【エピソード3】 島が見えた。







バンドがOCTAVIOになって、曲ができて、2007年の末に、ライブハウスに2回出演した。

頑張って友達を呼んだりしたけれど、お客さんは10人も居なかった。












そのあと、今までずっと一緒にやってきたフクシマくんが、バンドから抜けることになった。
















理想と現実と狭間で、バンドという集合体や表現そのものについて悩み続け、考えた末の決断だった。






















『自分が抜けた方がバンドが良くなる。』






















最後にそういって、フクシマくんはOCTAVIOを去った。










残った4人のOCTAVIOという舟は、船長を失って、それでもまだ海を渡っていくことにした。




4人で夜な夜な写真スタジオに集まって、朝まで先の見えない、けれど限り無く自由なセッションを繰り返した。
















2008年、春。


モリモトくんづてて、十三テハンノというライブバーのマスターから出演の話が来た。






とても愛のあるマスターだった。















テハンノには普段は弾き語りの人が多く、バンド出演は稀。
僕たち4人が立って演奏するにはとてもじゃないけど狭すぎるステージ。












僕たちは楽器も定まっていなかったから、とにかくその会場でできる最良の形を考えた。










曲を多く作っていたモリモトくんはギターボーカル。

ギタリストのコジマくんはアコギを持った。
ドラムを叩くスペースの無かったタロウは、フクシマくんから借りていたジャンベを。


そして僕はいつか使うだろうと思って購入していた鉄琴と、シェイカーを持った。













2008年5月、十三テハンノ。

とても小さなバーのステージにマイクを立て、ぎゅうぎゅうになって4人でライブをやった。




















ライブでの4人の生音編成が誕生した。





















舟は、リーダーが居ないまま、それでもまた4人で前に進みだした。
















ライブハウス、クラブ、カフェ、ギャラリー、公園、舞台の演劇、いちご農園、学園祭、野外フェスティバル。。。








かつてソニックユースとボアダムスと観にいった難波Hatchという大きな会場を経験した2010年。

渚音楽祭や、One Music Campという関西の野外フェスにも出演した2011年。

CDを出し、夏のリリースイベントで大盛況を作り上げた2012年。








そのうち遠方からも声が掛かるようになり、


京都、奈良、滋賀、兵庫、東京、徳島、福岡。。。





4人の舟で、僕たちはいろんなところへ行って、新しい経験をいっぱいした。












けれどもその舟は、決して頑丈なものではなかった。














ライブでの曲と曲の間、演出の細かいところまで僕が綿密にこだわりたかった時期があった。



僕「もうちょっとこう、ここは無言でゆっくりとした動きで移動して、楽器を交換して、厳かな空気を出しつつ 、、このタイミングで次の曲に行ってほしいねん。いける?」



モリモトくん「あーもうめんどくさいな!そんなんイチイチ決めてやっても全然楽しくないねん!おもんない!帰る!」


モリモトくんが帰ってしまい、急遽スタジオ練習が打ち切りになった夜もあった。






結局その次のライブは、演奏する曲自体も、曲間の繋ぎ方も全く示し合わせせずにセッションで始め、最後まで完全に感覚だけでライブを構成した。









僕がバンドの魅せ方、できあがった曲の曲調や、ライブでのカバー曲の有り無しなどに細かくこだわって意見していた時期、






「そんなに自分のやりたいようにしたいんやったら、(OCTAVIOを辞めて)別でやってくれへん?」


そんなやり取りもあった。













ライブの時に着る服装で、僕がモリモトくんに文句を言って、持って来た衣装を渡したこともあった。



僕「それ、ライブで着る衣装としてはダサいわ。今日はこれ着てくれへん?」

モリモトくん「今日はこれがライブ衣装に良いと思って着てきたんや!うるさいな!」



ライブ前の楽屋で口論になり、衣装を投げつけたこともあった。












「正直、もう気持ち入らへんようになってきてるから、しばらくライブ前の練習だけ参加するわ。サポートメンバー的なポジションやと思っておいてくれへん?」


そう言って太郎がほとんどスタジオに来なくなったこともあった。










僕がTAIYO33OSAKAという祭り創りの活動を初め、祭前の忙しい時期に手一杯になり、スタジオを急遽休んだり、レコーディングにも参加しないことが増えた時期もあった。











そんな風にして、舟は常にギリギリのバランスでもって、それでもなんとか前に進もうとしていた。

















やがて、目の前に一つの島が見えた。



(続く)





HAKOBUNE 【エピソード2】 船出。



うちまた少年はそのうち、裏打ちを目立たせた4つ打ちのダンスビートや、図太いギターリフとかを取り入れるようになり、フクシマくんの提案で「THE BENDS」という名前に変えることになった。
名前は、Radioheadの2ndアルバムから拝借した。

そして、フクシマくんの高校の同期であるモリモトくんがエレキギターで加入した。






NUMBER GIRLからのZAZEN BOYS、ゆらゆら帝国、SONIC YOUTH、The Strokes、Franz Ferdinand、THE RAPTURE、Mando Diao、、、







いつもフクシマくんがきっかけをくれて、教えてくれた。


そこから自分でも掘り下げて、数珠繋ぎのように世界の音楽を吸収していくようになった。













THE BENDSは立派なロックバンドだった。僕もエレキギターを弾いていた。

 島田君に代わるドラマーとして、タロウも入って来た。

タロウもまたフクシマくんの高校の同期だった。



フクシマくんがある日、「ZUN-ZOKU」という曲を創ってきた。

今までやって来たフォークやロック、パンクを基調にした曲から離れた、アフリカの民族音楽のような雰囲気を持った曲だった。



僕はその曲が好きだったし、今後そういう方向に進んでいくことは良いじゃないかと思っていた。






しかし、その曲調には興味が涌かないというメンバーも居た。








方向性が割れてしまった。







そして、スタジオの空気も停滞気味になった。




フクシマくんは悩んでいた。













そんな風にして、今後どういう曲をやって行きたいかでなかなかバンドがまとまらなくなっていた時期のある日、

フクシマくんからの提案で、曲を一新して、バンドの名前も変えてしまって、同じメンバーでまた一から始めようという話になった。




そのころ、サポートメンバーとしてギターのコジマ君が入って来た。コジマ君は高校時代にフクシマくんがやっていた別の活動で出合った友達だった。


みんなで曲作りと録音を兼ねていつも集まっていたフクシマくんの家で、新しいバンド名の案を出し合った。
フクシマくんが考えてきた「OCTAVIO」に決まった。





アモーレス・ペロスという、闘犬を題材にしたメキシコ映画でガエル・ガルシア・ベルナルという俳優が演じた主人公「オクタビオ」が男らしくて、とってもかっこよかったからだ。



2007年、僕たちはまた新しいバンドとして、転がり始めた。それがOCTAVIOだった。




OCTAVIOは初め、フクシマくんがボーカル、僕がベース、モリモトくんがエレキギター、コジマ君がエレキギター、タロウがドラムという5人編成で始まった。

そのころはまた共通してRadioheadを良く聴いていて、初期のOCTAVIOは音楽的にもすごく影響を受けていたと思う。特にOK Computer、KID A、AmnesiacあたりのRadioheadの影響が濃かったと思う。



Sigur Ros、mum、Bjork、Mogwai、Tortoise、KYTE、MONO、、、



音響派だとか、ポストロックだとか呼ばれている音楽を知った。



また新しい世界が見えた。






そして、ボアダムスとの出会いは衝撃的だった。



2007年4月17日@難波Hatch

フクシマくんと観に行ったソニックユースの日本公演の共演が、ボアダムスだった。



円形に組んだ3台のドラムの真ん中にシンセとDJセットのような機材が一台。




エレキギターを組み合わせて作った奇妙なオブジェもある。しかも叩くと破壊音が鳴る。。





ライブは、衝撃という言葉では足りないくらい、革命的なパフォーマンスだった。


民族的で未来的、宇宙に連れていかれるかと思ったらその宇宙は実は自分の脳みその中にあって、外に向かっているようで実は内へ内へと潜っていっているようで、、、




腹の底をえぐられるようにして踊った。人間本来の、歓喜の姿。



それは、



とにかく最高だった。











ボーカル、ギター、ドラム、ベース、キーボード、、、



そういった編成ばかりが『バンド』ではない。










以降、頭の中で、どんどん新しい『バンド』の形を模索していくようになった。










初めはずっとフクシマくんの家で5人で集まって、曲を作ったりみんなで買った録音機材でデモCD-Rの録音をしていた。

交換ノートを作って、毎週メンバー間で回した。今作っている曲のイメージやイラストを書いたり、単なる日記だったり、最近聴いている音楽を紹介したり、、


OCTAVIOはそんな風にして、少しづつコミュニケーションを取り、バンドの形になっていった。







そのうち、モリモトくんのつてで東大阪の荒本という駅の近く、トラックターミナルや工場ばかりがある町の立派な写真スタジオを借りられるようになった。

写真の仕事で使っていない時間は好きにスタジオを使っていい、ということになった。






僕たちはその写真スタジオにそれぞれの楽器と録音機材を持ち込んだ。















自分たちの基地が出来た。


















近くに住宅が無い地域だから、夜中でも好きなだけ大きな音が出せる。

お金もかからずに、長時間使える。






僕たちにとって、それは最高に自由な創作の環境だった。


毎週5人で集まって朝まで曲を作ったり、セッションをしたり、録音を続けた。








そして、出来上がったデモCD-Rを持って、大阪市内のライブハウスを回った。






やがて、いくつかのライブハウスから出演の話が来て、出演が決まった。












OCTAVIOというバンドは、まるで一葉の舟だったように思う。

そしてバンドメンバーはその舟に乗り合って、先の見えない大航海を一緒に続けた仲間だ。






僕たちは楽器を持って、大海原に舟を出した。そして、旅が始まった。


(続く)


2013年5月30日木曜日

HAKOBUNE 【エピソード1】 知らない世界へ。

今のメンバーになって5年間続いたバンドが、明日のライブを最後に無期限の活動休止になる。


バンド、OCTAVIOについて。

少しずつ、振り返る。





大学生のころ、僕は小中学校時代の同級生のフクシマくんに誘われて、「うちまた少年」というバンドを始めた。

2004年、僕たちはまだ18歳だった。






フクシマくんとはいつかバンドをやりたいと思っていた。 高校生のころ、バンドを始めるきっかけをくれた友達だったから、嬉しかった。


初期メンバーは4人。フクシマくんと、僕と、フクシマくんの高校の同級生のヨシタカ(ベース)、同じくしんちゃん(ドラム)。

その時のメンバーは、共通してGOING STEADY・銀杏BOYZが大好きで、最初はコピーもしていたけど、そのうちフクシマくんが曲を作るようになった。


フクシマくんが鼻歌で歌うメロディーに僕がギターでコードを付ける。

僕の家で、そんな手順で曲作りが始まった。
時にカセットテープに吹き込まれていたり、二人でギターを抱えて夜中まで部屋にこもったりして、


そのうち「夕暮れ」という曲ができた。


とても良い、ラブソングだった。




フクシマくんはうちに来ると、いつも知らない音楽を僕に教えてくれた。





THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ•スターリン、、、、、









そこから数珠繋ぎの様に、あぶらだこ、INU、村八分、ばちかぶり、、 なども知った。








全てが新鮮で、全てが新しい世界への入り口だった。







(外国の音楽なんて歌詞の意味がわからないから、面白くない)






そんな理由で遠ざけていた僕にWEEZERやOasis、Green Dayを教えてくれたのもフクシマくんだった。









少しずつ音楽に対して壁が無くなり、広がっていった。






初期ドラマーのしんちゃんから島田君に代わり、
南港の野外イベントや、堺のライブハウスでステージに立って、何度かライブをした。



踊ったり駆けずりまわったり、のたうち回ったり、ベースのヨシタカにドロップキックをしたりしながら、エレキギターを力いっぱいかき鳴らし、声が枯れるまでコーラスで叫びまくった。


解放感に満ち溢れていた。














こんなにも気持ち良い世界があるのか。















こんなにも自分の中にあるどうしようもない熱のようなものを、吐き出せる手段があるのか!!!























僕はバンドが大好きになった。




(続く)

2013年5月28日火曜日

中国地方ツアーの6日目@鳥取。 =浪速のデイビッド。=

5月19日(日)。



中国地方ツアーの最終日。



前日「夜のバケーション」主催のリョウ氏の家で全員でお世話になり、目を覚ます。


リョウ氏おすすめの最寄のお好み焼き屋へイン。






当然んまい。






と、





ふと






隣に座っていた




清水アツシにいやんがおもむろに言い放った。







『みんなよう座ったまま食べれるなあ。

俺、胴が短いねん。お好み焼き届かへん。。』





















外は雨。










清水アツシ・ジェイムス号にて高速で鳥取へ。




つくやいなや、









サンデーカミデ氏。





今夜も清水アツシ&つじちゃん。



ライブは会場満員の大盛況。





鳥取のプリンス


そうちゃん



いつもながらの豪華な打ち上げ、アジパイさん、ミチモリさん始めいつもありがとうさまです。




神戸のデイビッドによる鉄壁のドライビンで大阪に帰り、



広島・鳥取の2デイズが終わり、



中国地方ツアー全5日程全て終了





本当に各地でさまざまな人にお世話になった。感謝。感謝。感謝。



中国地方ツアー、次はいついけるだろう。
またみんなに会いたい。








さんきゅう。