2013年5月31日金曜日
HAKOBUNE 【エピソード3】 島が見えた。
バンドがOCTAVIOになって、曲ができて、2007年の末に、ライブハウスに2回出演した。
頑張って友達を呼んだりしたけれど、お客さんは10人も居なかった。
そのあと、今までずっと一緒にやってきたフクシマくんが、バンドから抜けることになった。
理想と現実と狭間で、バンドという集合体や表現そのものについて悩み続け、考えた末の決断だった。
『自分が抜けた方がバンドが良くなる。』
最後にそういって、フクシマくんはOCTAVIOを去った。
残った4人のOCTAVIOという舟は、船長を失って、それでもまだ海を渡っていくことにした。
4人で夜な夜な写真スタジオに集まって、朝まで先の見えない、けれど限り無く自由なセッションを繰り返した。
2008年、春。
モリモトくんづてて、十三テハンノというライブバーのマスターから出演の話が来た。
とても愛のあるマスターだった。
テハンノには普段は弾き語りの人が多く、バンド出演は稀。
僕たち4人が立って演奏するにはとてもじゃないけど狭すぎるステージ。
僕たちは楽器も定まっていなかったから、とにかくその会場でできる最良の形を考えた。
曲を多く作っていたモリモトくんはギターボーカル。
ギタリストのコジマくんはアコギを持った。
ドラムを叩くスペースの無かったタロウは、フクシマくんから借りていたジャンベを。
そして僕はいつか使うだろうと思って購入していた鉄琴と、シェイカーを持った。
2008年5月、十三テハンノ。
とても小さなバーのステージにマイクを立て、ぎゅうぎゅうになって4人でライブをやった。
ライブでの4人の生音編成が誕生した。
舟は、リーダーが居ないまま、それでもまた4人で前に進みだした。
ライブハウス、クラブ、カフェ、ギャラリー、公園、舞台の演劇、いちご農園、学園祭、野外フェスティバル。。。
かつてソニックユースとボアダムスと観にいった難波Hatchという大きな会場を経験した2010年。
渚音楽祭や、One Music Campという関西の野外フェスにも出演した2011年。
CDを出し、夏のリリースイベントで大盛況を作り上げた2012年。
そのうち遠方からも声が掛かるようになり、
京都、奈良、滋賀、兵庫、東京、徳島、福岡。。。
4人の舟で、僕たちはいろんなところへ行って、新しい経験をいっぱいした。
けれどもその舟は、決して頑丈なものではなかった。
ライブでの曲と曲の間、演出の細かいところまで僕が綿密にこだわりたかった時期があった。
僕「もうちょっとこう、ここは無言でゆっくりとした動きで移動して、楽器を交換して、厳かな空気を出しつつ 、、このタイミングで次の曲に行ってほしいねん。いける?」
モリモトくん「あーもうめんどくさいな!そんなんイチイチ決めてやっても全然楽しくないねん!おもんない!帰る!」
モリモトくんが帰ってしまい、急遽スタジオ練習が打ち切りになった夜もあった。
結局その次のライブは、演奏する曲自体も、曲間の繋ぎ方も全く示し合わせせずにセッションで始め、最後まで完全に感覚だけでライブを構成した。
僕がバンドの魅せ方、できあがった曲の曲調や、ライブでのカバー曲の有り無しなどに細かくこだわって意見していた時期、
「そんなに自分のやりたいようにしたいんやったら、(OCTAVIOを辞めて)別でやってくれへん?」
そんなやり取りもあった。
ライブの時に着る服装で、僕がモリモトくんに文句を言って、持って来た衣装を渡したこともあった。
僕「それ、ライブで着る衣装としてはダサいわ。今日はこれ着てくれへん?」
モリモトくん「今日はこれがライブ衣装に良いと思って着てきたんや!うるさいな!」
ライブ前の楽屋で口論になり、衣装を投げつけたこともあった。
「正直、もう気持ち入らへんようになってきてるから、しばらくライブ前の練習だけ参加するわ。サポートメンバー的なポジションやと思っておいてくれへん?」
そう言って太郎がほとんどスタジオに来なくなったこともあった。
僕がTAIYO33OSAKAという祭り創りの活動を初め、祭前の忙しい時期に手一杯になり、スタジオを急遽休んだり、レコーディングにも参加しないことが増えた時期もあった。
そんな風にして、舟は常にギリギリのバランスでもって、それでもなんとか前に進もうとしていた。
やがて、目の前に一つの島が見えた。
(続く)
HAKOBUNE 【エピソード2】 船出。
うちまた少年はそのうち、裏打ちを目立たせた4つ打ちのダンスビートや、図太いギターリフとかを取り入れるようになり、フクシマくんの提案で「THE BENDS」という名前に変えることになった。
名前は、Radioheadの2ndアルバムから拝借した。
そして、フクシマくんの高校の同期であるモリモトくんがエレキギターで加入した。
NUMBER GIRLからのZAZEN BOYS、ゆらゆら帝国、SONIC YOUTH、The Strokes、Franz Ferdinand、THE RAPTURE、Mando Diao、、、
いつもフクシマくんがきっかけをくれて、教えてくれた。
そこから自分でも掘り下げて、数珠繋ぎのように世界の音楽を吸収していくようになった。
THE BENDSは立派なロックバンドだった。僕もエレキギターを弾いていた。
島田君に代わるドラマーとして、タロウも入って来た。
タロウもまたフクシマくんの高校の同期だった。
フクシマくんがある日、「ZUN-ZOKU」という曲を創ってきた。
今までやって来たフォークやロック、パンクを基調にした曲から離れた、アフリカの民族音楽のような雰囲気を持った曲だった。
僕はその曲が好きだったし、今後そういう方向に進んでいくことは良いじゃないかと思っていた。
しかし、その曲調には興味が涌かないというメンバーも居た。
方向性が割れてしまった。
そして、スタジオの空気も停滞気味になった。
フクシマくんは悩んでいた。
そんな風にして、今後どういう曲をやって行きたいかでなかなかバンドがまとまらなくなっていた時期のある日、
フクシマくんからの提案で、曲を一新して、バンドの名前も変えてしまって、同じメンバーでまた一から始めようという話になった。
そのころ、サポートメンバーとしてギターのコジマ君が入って来た。コジマ君は高校時代にフクシマくんがやっていた別の活動で出合った友達だった。
みんなで曲作りと録音を兼ねていつも集まっていたフクシマくんの家で、新しいバンド名の案を出し合った。
フクシマくんが考えてきた「OCTAVIO」に決まった。
アモーレス・ペロスという、闘犬を題材にしたメキシコ映画でガエル・ガルシア・ベルナルという俳優が演じた主人公「オクタビオ」が男らしくて、とってもかっこよかったからだ。
2007年、僕たちはまた新しいバンドとして、転がり始めた。それがOCTAVIOだった。
OCTAVIOは初め、フクシマくんがボーカル、僕がベース、モリモトくんがエレキギター、コジマ君がエレキギター、タロウがドラムという5人編成で始まった。
そのころはまた共通してRadioheadを良く聴いていて、初期のOCTAVIOは音楽的にもすごく影響を受けていたと思う。特にOK Computer、KID A、AmnesiacあたりのRadioheadの影響が濃かったと思う。
Sigur Ros、mum、Bjork、Mogwai、Tortoise、KYTE、MONO、、、
音響派だとか、ポストロックだとか呼ばれている音楽を知った。
また新しい世界が見えた。
そして、ボアダムスとの出会いは衝撃的だった。
2007年4月17日@難波Hatch
フクシマくんと観に行ったソニックユースの日本公演の共演が、ボアダムスだった。
円形に組んだ3台のドラムの真ん中にシンセとDJセットのような機材が一台。
エレキギターを組み合わせて作った奇妙なオブジェもある。しかも叩くと破壊音が鳴る。。
ライブは、衝撃という言葉では足りないくらい、革命的なパフォーマンスだった。
民族的で未来的、宇宙に連れていかれるかと思ったらその宇宙は実は自分の脳みその中にあって、外に向かっているようで実は内へ内へと潜っていっているようで、、、
腹の底をえぐられるようにして踊った。人間本来の、歓喜の姿。
それは、
とにかく最高だった。
ボーカル、ギター、ドラム、ベース、キーボード、、、
そういった編成ばかりが『バンド』ではない。
以降、頭の中で、どんどん新しい『バンド』の形を模索していくようになった。
初めはずっとフクシマくんの家で5人で集まって、曲を作ったりみんなで買った録音機材でデモCD-Rの録音をしていた。
交換ノートを作って、毎週メンバー間で回した。今作っている曲のイメージやイラストを書いたり、単なる日記だったり、最近聴いている音楽を紹介したり、、
OCTAVIOはそんな風にして、少しづつコミュニケーションを取り、バンドの形になっていった。
そのうち、モリモトくんのつてで東大阪の荒本という駅の近く、トラックターミナルや工場ばかりがある町の立派な写真スタジオを借りられるようになった。
写真の仕事で使っていない時間は好きにスタジオを使っていい、ということになった。
僕たちはその写真スタジオにそれぞれの楽器と録音機材を持ち込んだ。
自分たちの基地が出来た。
近くに住宅が無い地域だから、夜中でも好きなだけ大きな音が出せる。
お金もかからずに、長時間使える。
僕たちにとって、それは最高に自由な創作の環境だった。
毎週5人で集まって朝まで曲を作ったり、セッションをしたり、録音を続けた。
そして、出来上がったデモCD-Rを持って、大阪市内のライブハウスを回った。
やがて、いくつかのライブハウスから出演の話が来て、出演が決まった。
OCTAVIOというバンドは、まるで一葉の舟だったように思う。
そしてバンドメンバーはその舟に乗り合って、先の見えない大航海を一緒に続けた仲間だ。
僕たちは楽器を持って、大海原に舟を出した。そして、旅が始まった。
(続く)
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