2013年4月5日金曜日

みなぎるナンバル・ワン。

僕は基本的に移動中は音楽を聴かない。

学生時代などはi podやウォークマンなどをよく使っていた時期もあったが、


じょじょに使わなくなった。





自転車を漕いだときにしか聞こえない音。風の音。


歩いた時にしか聞こえない音。自分の足踏みの音。


電車に乗った時にしか聞こえない音。車輪と
レールが擦れる鉄の音。




そういうものが大事だからだ。


そういうものが大事なのだ。






家に居る時、特にPCでメールを返信したりだとか、データを整理している時なんかはCDやPCを使って音楽を聴く。


その時の気分に合わせて聴く。脳内検索をし、「これだ」と思いついた音源を聴く。






ここ最近は「インドポップス」「バングラビート」「ボリウッド音楽」などとと呼ばれているような

インド、ネパール周辺のポップス、映画音楽などが、感覚的にどストライクであったので、

youtubeを漁ったり、amazonでコンピの音源を買ったりして、



ずっと聴いている。






自分の表現における一つのテーマとして、


広い意味での「祭り」の感覚を掘り下げていきたいと思っている。



それはいわゆる『おまつり』のイメージのような、チャンカチャンカした享楽的なものに留まらず。




祝い、祈り、願い、儀式のような感覚



それは、時に深刻で、切実で、壮厳であり、奇怪で、謎めいていて、根源的で永久的な生きる希望である。




また、大飯原発再稼動反対運動に参加した昨年の6月末。


また新しい祭りの感覚を受け取った。



「とにかく人が集まって声を上げること」



これは一つの闘いであり、また祭りでもある。そこには自分たちの生活をより良いものにするための未来への希望が含まれている。



インド/ネパール周辺の音楽にはそういった、



”集まって声出したら、きっといいことあるっしょ!”


という感じの、ある種の楽観主義が感じられて、とてもおもしろい。



掛け声だとか、シンセサイザーのオメデタいフレーズ。



に加えての、土着的な民族音楽がミックスされて現代にドロップアウトされているパッケージ感。



それらが全て、最高なのだ。



僕の思う限り、インターネットや有線放送を利用しない限り、なかなか日本では一般には浸透していない音楽だが、




ぜひ、聴いてみてほしい。