今のメンバーになって5年間続いたバンドが、明日のライブを最後に無期限の活動休止になる。
バンド、OCTAVIOについて。
少しずつ、振り返る。
大学生のころ、僕は小中学校時代の同級生のフクシマくんに誘われて、「うちまた少年」というバンドを始めた。
2004年、僕たちはまだ18歳だった。
フクシマくんとはいつかバンドをやりたいと思っていた。 高校生のころ、バンドを始めるきっかけをくれた友達だったから、嬉しかった。
初期メンバーは4人。フクシマくんと、僕と、フクシマくんの高校の同級生のヨシタカ(ベース)、同じくしんちゃん(ドラム)。
その時のメンバーは、共通してGOING STEADY・銀杏BOYZが大好きで、最初はコピーもしていたけど、そのうちフクシマくんが曲を作るようになった。
フクシマくんが鼻歌で歌うメロディーに僕がギターでコードを付ける。
僕の家で、そんな手順で曲作りが始まった。
時にカセットテープに吹き込まれていたり、二人でギターを抱えて夜中まで部屋にこもったりして、
そのうち「夕暮れ」という曲ができた。
とても良い、ラブソングだった。
フクシマくんはうちに来ると、いつも知らない音楽を僕に教えてくれた。
THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ•スターリン、、、、、
そこから数珠繋ぎの様に、あぶらだこ、INU、村八分、ばちかぶり、、 なども知った。
全てが新鮮で、全てが新しい世界への入り口だった。
(外国の音楽なんて歌詞の意味がわからないから、面白くない)
そんな理由で遠ざけていた僕にWEEZERやOasis、Green Dayを教えてくれたのもフクシマくんだった。
少しずつ音楽に対して壁が無くなり、広がっていった。
初期ドラマーのしんちゃんから島田君に代わり、
南港の野外イベントや、堺のライブハウスでステージに立って、何度かライブをした。
踊ったり駆けずりまわったり、のたうち回ったり、ベースのヨシタカにドロップキックをしたりしながら、エレキギターを力いっぱいかき鳴らし、声が枯れるまでコーラスで叫びまくった。
解放感に満ち溢れていた。
こんなにも気持ち良い世界があるのか。
こんなにも自分の中にあるどうしようもない熱のようなものを、吐き出せる手段があるのか!!!
僕はバンドが大好きになった。
(続く)