2013年11月21日木曜日

僕と銀杏BOYZ。

来年2014年の1月15日に銀杏BOYZの新しいアルバムが9年ぶりに出る。

1月15日はGOING STEADYが解散した日。
1月15日は9年前に銀杏BOYZのファーストアルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』が2枚同時リリースされた日。
1月15日はドラムの村井さんの誕生日。

9年前のその日。正確にはその前日。僕は19歳になったばかりだった。

天王寺駅ビルMIOの8階にあるCDショップ『新星堂』に入り、我慢できなくって、視聴機の前でヘッドホンを両耳に押し付け、ボリュームのツマミをおもいっきり右に回し、1曲目『日本人』のイントロで泣いた。鼻水もだらだら出るくらいに泣き続けて、何曲か聴きとおして、予約していた2枚のCDを買った。


その夜、その時やってたバンド『うちまた少年』の練習日だったが、玉出にあるベースのヨシタカの家に集まって、メンバー全員で聴いた。

僕はアルバムが2枚終わりきるまで口の中にあったガムを吐き出す動作すらできなくなって、足の痺れもそのままに、その場でただただ固まって聴いていた。


そしてガムを途中で飲み込んだ。 ごくん。




当時、26だか27歳のミネタくん、村井さん、チンくん、アビコさんの4人で作ったそのアルバムを手にしたその日から、僕はどうにかなってしまった。


どうにかなってしまったんだ。









そして、僕は27歳になった。当時の彼らと同じ年代になった。
9年ぶりに出る新しい2枚同時リリースのアルバムを、心の底から楽しみにしている。

27歳の僕は、聴いたらどうなっちゃうんだろう。












ごくん。

2013年11月19日火曜日

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=

2013年11月4日(月・祝)

山形にてライブを終えたあと、真夜中にようやく主催の長井くんと宿泊する予定のスタジオに到着。


が、








開かず、、入れず、、、











ちーーーーーーーーーーーーーん。













長井くんと共に漢(おとこ)の車中泊。















朝、目が覚めたらそこは立派な山中だった。






そしてすぐそばにあった、最上三十三ヶ所巡礼の五番、山上にある唐松のお堂に辿り着いた。






お堂に礼拝し、非常にたくさんの木魚と鐘に囲まれた。

ポクポク。。

ポクポク。。。





ちーーーーん。

 





礼拝後、本日の会場に移動。



ゾンフォーよろしくナイスDIYな感じにてイベントがスタート。







昨日は企画の主旨によりお酒も出したのだ。


屋久島の焼酎、三岳という非常にパンチが強いお酒。
しかしながらやはり焼酎はストレート、もしくはロックで飲みたいものであるからして。。







今日の僕のステージは鹿の角に囲まれていた。



mothercoatカフェセットも渋かった。


新曲CODAMAも未完成ながらもライブで披露できるようになり、トリのkanina前にアンコールをいただき、恐縮ながらもNASSAU&GELTAで締めさせていただいた。


昨日に引き続きkaninaの深遠で柔らかい世界観に浸り。






東北ツアー全イベントが終了。






しばし談笑ののち、


















ダウン。

















解脱。










ちーーーーーーーーーーーーん


















どうやらたくさんの関係者に多大な迷惑をかけたらしいが半分くらいしか記憶になく、


目が覚めたのはまたも長井くんの車内。











漢(おとこ)の車中泊はまさかの予定外連泊となったのであった。









しぶしぶな感じの長井くん。









と、帰りのバスの時間まで遊ぶことに。








大衆食堂の半田屋でご飯食べ、そのあと
ながいくんの産まれ故郷の石巻へ連れていってもらったのである。




ながいくんと石巻の海。


流されたり取り壊された家のあとに草木が生い茂って包み込んでいた。




感じたのは人間が自然に還元されていく大きな流れのようなもの。
現場の現実と折り合いをつけながら日常を継続していくこと。



震災後にようやく時間をかけて行けて、本当によかった。



総じて、二年半の月日が起こした還元と輪廻を感じさせてもらったのであった。







夜のバスに乗り、仙台から大阪に帰還。







今回の東北ツアーでは、




鞄パンパンに詰め込んで持って行った音源『ISLAND HEAD』は幸い全て売り切れた。


全体としても初回盤セットは残り僅か。










ありがとう!これからもATOMOS CLUBの発展を願う。



カセットリリースツアー珍道中は年末まで、まだまだ続く。













ポクポク。。。

2013年11月18日月曜日

=東北ツアー3日目@山形•山形sandinista=

2013年11月3日(日)

東北編3日目はZOMBIE FOREVER 発祥の地、山形のSandinista だった。


今日明日の東北2日間のツアーをコーディネートしてくれた長井くんはゾンフォーをリスペクトしてくれている若い男子、かつkikaというフォークトロニカバンドを切り盛りしている。

kanina、mothercoatと共に回る2日間が始まった。



ライブは大トリにて大盛況。
先日の梅田シャングリラのライブに久しぶりに太郎タビオがライブを観に来てくれたのだけど、
真摯で率直の意見をたくさんくれたので、僕はそのことばかり考えて東北ツアーに望んだのだ。


結果、自分の表現の芯を見定めることができたと思う。


ありがとう。




結果、

カセットテープがたくさん売れた。



最後に会場前で長井くんと、翌日出演のパンプキンコケティッシュのタケシくん。

彼は本当にきめ細かくケアをしてくれたので本当にベストな環境でライブができたのだよ。

ありがとう。
























 

 

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=



  

2013年11月12日火曜日

=東北ツアー2日目【後編】@福島•喜多方=

2013年11月2日(土)


喜多方の大きな酒蔵で開かれたDIYクラブパーティ。
会津の方々はクラブでありかつ『蔵部』と呼んでいた。

酒蔵パーティには会津のミュージックラバーが集結し、ドラムンベース、テクノ、ハウス、R&
Bなどさまざまな蔵部ミュージックを横断し、僕もいつもの祭エレクトロニカで応戦。
大いに盛り上がり終了。

その後泊まらせてもらった山の中伏にある湯野上温泉郷から、今朝、会津若松に向かって降りて行く風景が衝撃的だった。


360度を囲む山々とそれを包み込む真っ白い霧、たくましく流麗な大川。
あれはこの世の楽園、桃源郷と呼べるような景色だった。

一体感のある会津地方のクラブシーンに触れ、確かなこだわりを感じるチョイスと出音のセンスといい、親切で紳士な人となりといい、すごく自分に馴染むような気がした。
刺激的でありかつ居心地が良かった。

また訪れたい土地と会いたい人が増えた。
日本という国で起きる全ての事がどんどん他人事では無くなっていく。


多謝。多謝。



今日はまた会津からバスを乗り継ぎ山形へ。またも初の地。







ポクポク。。


















喜多方から会津若松へ戻り、そこから経由地の仙台にてバス乗り換え待ちの20分間。 



今日一日にしか行われないという『雀踊り』という区民祭りに遭遇した。 


ベースは阿波踊りなどと同じく、太鼓と笛と鐘と踊りによるハネた二拍子だけど、独自の振付や小さい子供がメインで踊る連があったりと、『雀』感伝わって来た。 



そのときのインスタ動画
http://instagram.com/p/gPOHcVpMhe/





 感激。。。



ちーーーーーーーーーーーーん


=東北ツアー3日目@山形•山形sandinista=

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=

2013年11月7日木曜日

=東北ツアー2日目【前編】@福島•いわき〜久ノ浜=

2013年11月2日(土)



朝早く起きて、歩いていわき駅へ。

常磐線で北へ三駅進むと久ノ浜という街がある。

昨日の三ヶ田さんの話では、津波にのまれて人が住めなくなっている地域だそうだ。

常磐線は、
そこからさらに北に進むと警戒体制の地域に入るので未だに電車が不通になったままになっている路線だ。










いわきから15分ほどで久ノ浜駅に到着。

駅から歩いて5分ほどで海岸に到着する。









パワーショベルが瓦礫を撤去して、更地に戻す作業をしている。


いま僕の目の前にあるこの海の波が、何十倍の高さになって遅いかかり、いま僕の背中の後ろにあるこの街を飲み込んでいく姿を想像した。


神社がある。







ほとんど家の基礎工事の跡しか残っていない地帯にぽつんと一つだけ損壊せずに残っている古い木の小さな神社の鳥居とお屋代。


三ヶ田さんからも聞いていたが、なぜかこの神社の鳥居と屋代は津波を受けたにも関わらず損壊していない。




それが何か神道的なパワーによるものなのか、そもそも建立の段階で地質が一番強い所を選んだのか。






不思議だ。



損壊してしまった家を優しく包み込むように跡地に草木が生い茂ってる。



地球による還元と輪廻の姿。




この街は人間にとって間違いなく大変なことが起こった。





それでも海はうつくしかった。











=東北ツアー2日目【後編】@福島•喜多方=

=東北ツアー3日目@山形•山形sandinista=

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=


2013年11月2日土曜日

=東北ツアー1日目@福島•いわき=

2013年11月1日(金)


東京でバスを乗り換え、明日のライブに向けて、福島県のいわき市に向かっている。

大阪よりも東京よりも恐らくずっと放射能汚染濃度が高い地域に。

震災後、さまざまな事情や想いの中で、けれどもそこで変わらず生活し続ける人たちがいる。

日本国本州という同じ島に住む、その人たちに会わないわけには行かない。そう思っていた。


例えばいまこの地を訪れた僕の体にいったいどんな影響を及ぼすのだろう?



大阪でじっとしているよりは確実に多く外部被曝をするはずだ。


今は何も起こらないだろうけど、堆積された何かがいつか何かの形になって現れるかもしれない。



けれども行かないわけには行かない。




聞かないわけには行かない話さないわけには行かない。

その思いが強かった。






前に福島県を訪れたのは2011年の11月。

大学時代の先輩が夏に帰省してきた時に大阪で『メシでも行かないか』と誘われて、久しぶりに会った。



そこで直接的に被災し、被曝した話を聞いた。

たくさんの写真を見せてもらった。
瓦礫の山。ぼろぼろの基礎工事の跡だけ残った住めなくなった家。鉄筋の骨組みだけ残った団地。
積み上げられたタイヤの山。自動車の山。





『この現実が、関西にはあまりにも届いていないことが悔しい。』




先輩はそう言っていた。










『お前には見てほしいし、知ってほしい。だから来てくれ。』




そう言われ、僕は都合をつけて必ず行くと伝えた。





会ったのは夏だったが、ようやく都合が付けられたのがその年の11月だった。




僕はバスに乗り福島駅まで行った。そこで先輩の車に乗り、宮城県の南三陸町に向かったのだ。



現地に到着するまでの景色は本当に写真で見たものと同じだった。
しかしその生々しさは想像を越え、突き刺さって来た。



ここでいったい何人の人が津波にのまれて亡くなったのだろう。





家は基礎工事の跡しか残っておらず、ほとんどが水没して泥々になっていた。





山の中腹まで木の色が変色し、それは津波の高さと幅の広さを語っていた。





毎日多数のボランティア登録者がテントに訪れるが、大多数が瓦礫撤去を選択するので写真洗浄は人手が足りていないとのことだったので、僕たちは優先的に写真洗浄をやらせてもらった。




テント内の机で薬剤や水やブラシを使って泥を落とし、乾かす。
それを探してやってくる被災者の方々。例えば津波にのまれて亡くしてしまった遺族の形見として、写真は形に残る大事な存在になる。

瓦礫撤去では、バケツに集め、集まったバケツを決まった場所に運んで瓦礫の山を作る。




壁のコンクリート、家具の破片、風呂釜のボディ、文房具、、

いろんな物を拾った。泥にまみれて原型を留めていないものもたくさんあった。



夜には仮設食堂で飯を食べ、現地で集合した先輩の友人とも合流し、話を交わした。

そして翌日また同じような作業をした。




この2日間は、どうにもこうにも他人事になってしまっていた東日本大震災、そして原子力発電と自分たちの暮らしについて、考えさせてくれる大きなきっかけとなったのであった。


その時は集合場所として立ち寄っただけだったので、

時間をかけて福島に滞在するのは、震災前も含めて人生初なのだ。








ライブが終わった後、共演者の皆様と深く話す時間があった。


『福島どーなの?』



これが率直に聞きたい内容だった。


そして、みんな親切に話してくれた。感謝。





【メモ】
いわき駅周辺における作業員組、避難組と先住民との軋轢はいまだに残っている。

一部の子供に既に甲状腺がんが発症が認められている。報道に乗らない事実。

立入禁止が解除された海水浴場は以前は汚染されていた。








=東北ツアー2日目【前編】@福島•いわき〜久ノ浜=

=東北ツアー2日目【後編】@福島•喜多方=

=東北ツアー3日目@山形•山形sandinista=

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=

 

 


2013年10月29日火曜日

2013.9.21-22@青森の十二湖を求めて【前編】


いつかみたあの写真。


たまたま入った喫茶店のテーブルの横の壁に貼ってあった一枚の写真。



ずっと頭に焼き付いて離れなかった風景。



山の中にぽつんとある。湖と呼ぶにはいささか小さすぎる湖沼の写真。

中学校の修学旅行で始めてみた沖縄の海の青さの衝撃に似た、センセーショナルな色彩。

透き通った水面の下には倒れた木々がそこまで伸びる様子が移りこんでいた。

写真の右下には『青森 十二湖』





いつか必ず、この目で見なければいけない。自分の目で見なければいけない。








そんな気がしていたのだ。




白神山地。



青森と秋田をまたぐ世界遺産。

 





























青森駅から鈍行列車を乗り継いで、秋田県との県境、車窓からは日本海。そんな場所で電車を降りたのは夕方17時半。


十二湖に向かうバスは既に最終便が行ったあとだった。

日は西へ西へ。山の麓の駅にも夜が近づいていた。



周りには宿もなく、店も閉まっている。

このまま駅舎で翌日、朝一のバスを待つのか。
時間が経つに連れ、ますます暗くなっていくであろう山道を歩き、目的地に近づいて夜を明かすのか。


僕に与えられた選択肢はその2つだった。








後者を選んだ。

駅舎はベンチもあってトイレも整っていたので、休めないこともないが、ここで半日以上じっとしているのは、どうにも納得が行かなかった。





暗い車道を、持ってきていた小さいペンライトで照らしながら歩き始めた。




ときどきすれ違ったり追い抜いていく地元の住人であろう自動車は、フロントライトで僕を照らすと、


「おいおい、なんでまたこんな時間にこんな場所を一人で歩いているんだ?」


と言わんばかりに訝しげに、申し訳なさそうなエンジン音を静かな山道に響かせて、しだいに僕から離れて行った。





そうすると聞こえるのは遠くで流れる小川のせせらぎと、大人しく木を揺らす風の音。
そして僕の足音だけだった。



真っ暗な山道は、ゆっくりと、確実に僕を孤独に追い込んだ。





ときどき車道の脇から広がる山の斜面の木か草むらが「ガサガサ!」と音を立てた。

きっと鼠か猫か、あるいは猿か何かの小動物がいるか、あるいは突発的な風の仕業だろうと思ったが、それでも充分に警戒していた。


熊が出る。北の山には特に、熊が出るというのはよく聞く話だ。






やがてこれ以上進んでも仕方がない、というくらいのところにちょうど良いベンチを設えた茶屋があった。




今夜は寝袋を敷いて、ここで夜を明かそう。


僕はそう決めた。



そして、寝袋を広げるためにベンチの周辺の安全を確かめていると、茶屋の外壁に貼ってある一枚の張り紙が目に入った。














『クマ出没注意』
















(つづく)