2015年5月15日金曜日

NGOMA

宮崎県の日向という地域に、【日向ひょっとこ夏祭り】というお祭りがある。
行事としてきちんと形式化されたのは昭和59年、僕が生まれる1年前に生まれた祭りだから伝統的というにはちょっと若すぎるかなあというくらいのお祭りだ。


何年も前から気になっていたけど、一昨年に福岡の友達に声を掛けてやっと行くことができた。


この祭り、公式ホームページに記されている表向きは『豊作と商売繁盛を祈願する』という意味づけや、『地域の活性化』『伝統文化の継承』『観光発展』という目的など、どこの祭りにもだいたい共通しているような設定を持って毎年8月に催されているのだけど、調べているうちにあまり広くは知られていない設定があるらしいことを知った。




僕はこの設定をこそ好いている。




そもそもこの設定を知る以前に、祭りの外見自体に他の祭りには無い珍妙な縛りというかルールがあった。


鐘や太鼓のリズムの和笛のメロディーに合わせて、
列の先頭を1人のキツネ役がキビキビと男らしく踊り歩き、そのあとを1人のおかめ役が女らしくしなしなと踊りながら着いていく。
そしてそのおかめを追いかけるように大量のひょっとこ役が情けなく下半身を揺らしながら踊り歩いていく。ひょっとこ面の表情も相まって非常に情けなく滑稽に練り歩く。


この一連のルールに基づいて大小さまざまな団体が同じパターンの様相で街を練り歩く。


この決まり事にどんな意味があるのか?公式ホームページでは一切触れられていない。



だけど気になる。


そして分かった設定。というかストーリー。




『村一番の美人「おかめ」は村の男(ひょっとこ)どもの憧れの的だった。そんなおかめを射止めたのは「ひょう助」という一人のひょっとこであり、二人は夫婦になった。

ある日二人は子宝祈願のためにお供え物を持って神社に参拝へ。朝早くから二人がどこへ出かけるのか、未練たっぷりの他多数のひょっとこどもは何をしているのか気になり、隠れて二人のあとを着けて来ていた。

二人のお供え物の赤飯を勝手に拝借した空腹の宮司に神様が怒り狂い、キツネの姿になって現世に現れた。
が、美しいおかめに気付き、手招きをして誘惑を始める。

お祈りをしている最中。おかめがキツネの誘惑に気付き、たいそう魅力的な男性であると感じた。まんまとおかめはキツネに一目惚れ。キツネが手招きしてどんどん歩いていく姿を見て、おかめは夫をほったらかして追い掛け始める。
それに気づいた夫のひょう助は驚き慌てふためく。”おいおいおい。待っておくれよおかめさん。俺がお前の夫だよ。キツネなんかにたぶらかされるんじゃあない。”

お構いなしに歩を進めるキツネ、それを追うおかめ、またそれを追うひょう助。そしてさらにひょう助を共におかめを追う、おかめに惚れている他の村男多数。』


その様を描いた祭りらしい。
正直なんじゃそりゃと思う部分もあるけど。
























いやひょっとこ、めっちゃかわいそうやん!!!!


目の前で軽く浮気されよった~



せつない。わびしい。











つまりひょっとこ夏祭りとは、『目の前で妻に気移りされる夫とその他の未練がましい男たち』
を描いたお祭りなのだ。
滑稽だ。せつなすぎて笑える。こうなったらもう一緒になって踊るしかない。




古くから日本のさまざまな農村喜劇のピエロ役を演じてきたであろうひょっとこ。
ピエロは自分の感情を封じ込め、ただただ滑稽な自分を演じて人に笑われることで自分の存在を見出している。

しかし色恋沙汰のこの役回りはかわいそうすぎる。でも決して他人事に思えない。
共感すら覚える。そんなやつがひょっとこなのだ。






祭りとは一見楽しいようで実は結局虚しい催しだ。

悲しくて厳しい現実世界から逃げて陶酔する手段だ。豊作や商売繁盛祈願などは僕にとっては二の次だ。だって僕は農家でもなければ商売人でも無いからね。


世間は欲の塊だ。いや何より僕自身が欲の塊だ。日常はめんどくさいことだらけであり、分かち合えないことだらけだ。日常は虚しさに満ちている。


だけど祭りの世界に没頭している時にだけこの虚しさを忘れられることができる。
そしてその思いは多くの人とは分かち合えないかもしれないけど、それでも誰かと何かを分かち合いたいという気持ちにさせてくれる。





祭りで一番泣けるのは、どんちゃんわいわいと盛り上がっているピークタイムなどではなく、それまで鳴り続いていた音楽が止まり、騒いでいた楽しげな人々が解散し、華やかな電飾が消されて完全な夜がやってくる瞬間だ。想像しただけで胸が締め付けられる。撤収作業なんて悲しすぎて見れたもんじゃない。


祭りの準備は楽しいが、終わりは悲しい。




祭りが終わると明日からまた日常がやってくる。死にたくないと思う限りは希望を求めて生活を続けないといけない。
日常はえらく恐ろしい。何かに気持ちを傾けていないと虚しいことばかりだから。


だからまた僕は逃げるんだ。死ぬまで逃げ続けるんだ。

逃げて逃げて、生まれ育ったあの祭りの街で味わったあの頃の寂しさを、
いつか祭りで埋められたらと思っている。





ほぎゃー!!!!!

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