またまたヤンパクラ・F邸で起床。
結婚したばかりの奥さんがそば米粥なる物を作ってくれた。
そば米というのは大阪には無い。徳島の特産品のようですたい。
こんなパッケージに入っている。
そば米はそば粉から作る米の代替品的なポジション。
稲の栽培に適さない地域の主食をまかなうための知恵だったそうですよ。
鶏肉や野菜と一緒に煮込んで食べる。
おいしい。お粥にぴったり。
今日はライブ予定の無い、フリーの日。
お仏壇のすみのの遠征スタイルはこんな感じ。
バックパックに機材がいっぱいで結構大変なのだが、どうにもこうにも機材がトラブルを起こした時のための予備として、
&
旅先で曲を作るための道具
として、小さくて軽いモーリスのアコギを持ち歩くようにしている。
なぜかと言うと、
僕の生み出して来た数少ない作品は、
今までほとんどの曲のメロディや詩が旅先で脳内に振ってきたものばかりだからだ。
日常生活から生まれた物はほとんど無い。それを避けているわけではなく、ただ作ろうとしてもなかなか生まれないのだ。
自分の場合、
旅先で起こった現実の出来事を言葉に置き換え、それをさらに頭の中で架空のものに置き換える作業をする。
それが詩になる。だから現実と非現実をつなぐオリジナルの言葉が生まれる。
そこに同じく旅先で自然に沸いて来たメロディを重ね合わせる。
自然に言葉とメロディが調和するまで、毎日毎日鼻歌で微調整し続ける。
整理されたものが表に出る。
と、
だいたいが、こんな工程を踏んでいる。
なので、
この感覚でこれからも作品を作り続けるためには、僕は旅をし続けなければならない。
ということになる。
いいじゃないか。それでいい。
昨日、ライブハウスCROWBARのすぐ近くの観光案内所で見つけたチラシに日本の原風景を感じる地を知った。
その名も
祖谷
イヤ
と読む。
写真で見る祖谷は素晴らしい風景だったので、すぐにでも行きたいと思った。
地図上で見る祖谷はここからかなり遠く離れていた。
いま、徳島県のほぼ東端にいるのだけれど、祖谷があるのはほぼ西端になる。
それでもすぐにでも行きたいと思ったので、持参していた大学ノートに「祖谷に行きたいです。」と書いて、
車の通りがよさそうな道路で掲げてみた。 こんなことをやるのは人生初である。
開始から約10分。
一台の車が止まった。
「祖谷までは行かないけど、途中の温泉までは行くから、乗る?」
初老の男性だった。
「いいですか?乗ります!」
すぐに返事をした。
車に乗り込んだ。
男はすぐに車を走らせた。
ハンドルに赤い革のカバーをあしらえたCONFORTという車。一般的にタクシーに使われている車だ。
車中では
亡くなった奥さんの話、徳島の歴史、娘・息子への愛、日本の政治・経済、会社時代の話、なぜCONFORTに乗っているのか、など本当にいろんな話を聞かせてくれた。67歳とのことだが、とてもそうは見えない。40代後半かというくらい若く見えた。
息子は元Jリーガーで、夫婦で車で追っかけをしていたらしい。
結局祖谷までの距離と残された時間の無謀さを諭され、もともと行く予定だった、美郷温泉というところに連れていってくれた。
天気も悪く、戻ってこれる保障もなかったので、それで良かったと思う。
美郷温泉でカレーうどんをご馳走になった。
決して彼は最後まで自分の名を名乗ったり、僕の素性を聞いたりしなかったが、昔話の中で他人が自分を呼ぶシーンで「タケちゃん」
と呼ばれていたから、きっと「タケちゃん」
なのであろう。
別れ際、
「ゲーム感覚で楽しむ気持ちでな、何があってもしんどくないから、人生くさるなよ!どんどん行け!」
と言ってくれた。
「あなたみたいな人を見たら、人生いつでもやろうと思えば何とでもできるなって、思わされますよ。」とも言ってくれた。うれしかった。
「一期一会ってやつやな。」と言って、名乗らずに去っていった。
もちろんこちらから何かを渡したり、連絡先の交換などしていない。
(もう二度と会えないかもしれない。)
そう思って、その出会い、その瞬間瞬間を全力で大切に生きるのが
きっと一期一会の教えであろう。
タケちゃんはまさにそういう人であった。
結局、祖谷には行かず、また徳島駅に戻ってきた。
そのあと、徳島に着いてから連日ラーメンを食べ回ったり、酒を飲みまくっていたので、
非常に、非常に残金が乏しく なっており、ろくに飯も食えないような状態だったので、
徳島駅前で人生初の路上ライブというやつをやってやろうと、決意した。
4曲を3セットやって、終わればギターケースに900円も入っていた。
最後に小銭をジャリジャリと入れて、すっと去っていったB-BOYが印象に残っている。
ありがたや。ありがたや。飯が食えた。
今日は
人生初のことを2つ、決行した。
でかした。
明日の朝のバスで大阪に帰る。
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