2014年1月23日木曜日

『恋と生命の鼻水ダンス。』~1月の制作期間・後半の一日目~

年始のご挨拶の文章にも少し書いていたのだけれど、

2014年からは

”月に10日ほど、制作のみに集中する期間を作って、時間の限り日々粛々と、部屋に篭って自らの音と向き合いたいと思っています。”

なわけで、


1月の制作期間前半は見事『ATAMA DANPEN』のsound cloudミックスを発表することができた。


そして今日から日曜日までがその後半にあたる。

予定はほとんど何も入れないようにした。

本当に恐縮で申し訳ないけれど、せっかくいただいた大阪でのライブのお誘いもお断りさせていただいた。



それでも尚、新しい作品を作りたい想いが強かった。







今日は後半の初日。


なんだか制作に取り掛かる前にエンジンをフルスロットルでかけたくなって、今日は昼過ぎまで部屋で歌とアコギの練習。
というか好きな曲をのどが枯れるまで散々歌いまくってた。







そして15時ごろに天王寺のCD屋の新星堂へ。

発売日から1週間遅れてやっとこさ、届いたんだ。














銀杏BOYZの新作アルバム、2枚。

























 

心の中で僕は、この2枚のCDを強く抱きしめて、何度もキスをした。







そして夕方に帰宅。


まずは部屋を真っ暗にする。

ヘッドホンをして、ツマミをMAXに。

着ていたパーカーのフードを被ってさらに頭にてぬぐい撒く。






こうすることでヘッドホンが締め付けられて、より豊かな低音と密なサウンドで聴くことができる。







正座。そして合掌。











脳みそを描き回すノイズの洪水と、それ以上にど真ん中に太く、力強く残る歌。








真っ暗な部屋の中、PC画面の明かりだけで歌詞カードを読みながら一緒に歌って、ていうかもはや叫び。


涙と鼻水にまみれて踊り狂った。もう、ズルズルのドロドロになって聴いた。












生命のダンス。


私の人生を豊かにするための儀式。




生きていて良かった。


またそう思えた。











表現することの悦びを教えてくれた彼らの音は9年経っても同じ、僕の哲学だ。







今、一枚目の『光のなかに立っていてね』
を聴き終えて、休憩しているところ。



時間にして20時47分。もう脳と耳が潰れそうだ。




まだ自身の制作には取り掛かっていないけど、歌いたい歌詞がたくさん生まれた。





もうすぐ、二枚目『BEACH』を聴こうとしているところ。






いや、明日にしよう。明日のお楽しみ。





今夜の1曲
守ってあげたい/松任谷由美

2014年1月17日金曜日

【NEWS】フリーダウンロードで『ATAMA DANPEN』のsound cloud mixを公開しました!



フリーダウンロードでATAMA DANPENという曲を配信しました!

カセットテープ作品『ISLAND HEAD』に入っているアレンジとは一味違った、モア・エスニックなミックスで仕上げました。


ジャケットをデザインしてくれたのはATOMOS CLUB ながい from山形。
ながいくんは去年の東北ツアーを組んでくれて、一緒に漢(おとこ)の車中泊を経験したり、ツアー最終日に泥酔しまくった僕を翌日まで面倒見てくれたなんとも熱く、優しく、絶妙の抜け加減がたまらない東北のホープだと思っています。
今はもう実家のある宮城県石巻の街に戻って家族と一緒に暮らしてるみたい。
毎日、犬を撫でて暮らしてるって。



象が七色に輝いてる。生命の内宇宙と、その溢れんばかりの根源的エネルギーが可視化されて、映し出してるようで、とても気に入ってる。ほんとありがとう。




sound cloudにアップしてる曲、他のも全部歌詞が見られるようにした。
僕の歌はわかりやすい歌モノって感じのアレンジじゃないけど、歌詞に込めた想いや願いは当然在って、一時期はなんとなくわかってもらえればいいかなと思っていたこともあったけど。

それじゃあかんなと思って。

伝えたい。伝わってほしい。だから歌詞を載せました。




ぜひ、聴いて下さい!


【COMMENTS】
大阪の念仏系エレクトロニストOBTSUDAN-SUMINO氏のサウンドクラウド版リミックスATAMADANPENのジャケットを描かせていただきました

https://soundcloud.com/obutsudan-sumino/atama-danpen

すみの氏は去年山形、仙台での僕の企画で踊乱喝采のベストアクトをし老若男女構わず踊らせトリ前にも関わらず観客総取りのアンコールラッシュ。カフェをダンスホールに変えた涅槃系トラックメイカーです

親子ほど歳の離れた山形のオルタナ番長otogiが汗だくで踊っているのを見て「これほどの感動はないな」と思ったのが記憶に新しいです

民俗音楽から日本舞踊、USインディーまでありとあらゆる音楽にルーツを感じさせつつ、ナイスなほどのジャパニーズポストエレクトロニカ

僕がクエンティン・タランティーノだったらスタンディングオベーションも嫌わないほど日本の音楽です

何よりすみのさんの純粋でやさしくちょっとアホな感じがもう人間味に溢れていて最高じゃないですか

テープ版とは違いサウンドクラウド用のリミックス版なのでその違いもまた一興

フリーダウンロードと言うことで何やら新しいステップに携われたことに感謝してます

もう一枚ジャケを頼まれているので泥酔の話や車中泊の話はそちらで

煩悩の数だけお聴きいただけたらありがたく思いますU^ェ^Uポクポク


ATOMOS CLUB ながい

2014年1月16日木曜日

南の島にて。「かぎわけなさいよ。」と風に言われた。

SNSの開放性が最近怖くなってきた。個人情報うんぬんとか、プライバシーうんぬんではなくて、コミュニケーションとか、情報を知る、伝えるということの根本的な仕組み自体に思い悩んじゃっている。だからツイッターで非公開アカウントをもう一個作って、気の許せる人とだけ今繋がっている。
わかる人にだけわかるような、正体を明かさないプロフィールで作ったから、僕がフォローしても最近増えてる迷惑アカウントと同じと思われて、無視したりしてる人もたくさんいると思う。
大事な友達にブロックもされちゃったよ。けどそれはそれでいい。

SNSは少し見方を変えれば自己顕示欲を満たす一つのツールだ。
(こんな僕のこと、わかってくれよう)という使い方もできる。
(他人からこう思われたい) という部分をコントロールすることもできる。


けど僕が本当に伝えたいこと、本当に理解されたいこと、伝えたい人、それはなに。それはどこ。
本当に必要な物ってなんだろう。

レーベルオーナーの森くん(ZOMBIE FOREVER)は新作リリースラッシュの時期にあえて全SNS(ツイッター、facebook、インスタグラム)から撤退した。ゾンフォーHP兼ブログの中に自分の文章を書くコーナーを設けて、そこで日々の出来事やライブ告知を発信している。
SNSは情報拡散に有用なツールであることはもちろん理解している。それでもあえてそうした。
詳しくは聞かなかったけど東京で会った時に「思うところあって」という話はしたし、お互いだいたい同意した。

もちろん情報発信のために今までのOBUTSUDAN-SUMINOアカウントも使っていくし、インスタグラムなんかでは日常生活のこともアップしてる。

そういう風にして僕の日常はいくつかのことがオープンからクローズに向かっている。
最近はあんまり外で遊んでなくて、本当に逢いたい人にだけ会って、あとは部屋に籠ってずっとひとりで音楽を聴いたりyoutubeを見たり、自分の制作をしたり、楽器や歌の練習をしたりしている。


いやはや。
そんなこんなで今ブログを書いている。


ちゃんちゃん。

2014年1月9日木曜日

【NEWS】WEBマガジン『TENto』に記事が掲載されました。

2010年にOCTAVIO『bacpac』のPVの制作を手がけていただいた編集者、畑山明子さんからの依頼により、
モノづくり・表現者の集うWEBマガジン『TENto』に記事が掲載されました。

今の活動を始めるきっかけにフォーカスするという企画『キッカケ』の第一弾アーティストとして文章をしたためました。

主に高校・大学時代の話、そして今です。

http://tento.in/OBUTSUDAN-SUMINO/


【PV】bacpac / OCTAVIO

『松江へ行くのだ。』

松江へ行くのだ。













松江はヒントをくれる。


この時代を生き抜くためのヒント。


この先の未来を明るいものにしていくためのヒント。









何を信じて、何と向き合うのか。






町、人、風景、真心...







それはきっと太古のむかしからただそこにあるもの。










何を疑い、何に背を向けるのか。






権力、体制、利便性...






それはきっと、高度経済成長期以降の日本を表面上「豊か」にしてきたもの。


今まさにその在り方を見直すべきもの。




松江はヒントをくれる。


答えを見つけるのは私。
声を出すのは私。






だから今日も私は松江に行くのだ。




音を紡ぎに松江へ、行くのだ。



【詳細】

2014年1月3日金曜日

SAVE THE CLUB NOONを観てきた。

もう去年の暮れの話になるけど、映画『SAVE THE CLUB NOON』を観に、十三の第七藝術劇場に行ってきた。


僕の10代のころの音楽遊びと言えば、家でCDを聞いたり、音楽雑誌を読んだり、インターネットやケーブルテレビでライブ映像を観て熱くなり、好きになったバンドのチケットをぴあとかローソンチケットとかで買って、当日の夕方に家を出てライブハウスに足を運んでTシャツ一枚で最前線で汗だくになって叫び、踊り狂ってその日の夜に家に帰ってくるという、典型的なライブハウスキッズのそれだったように思う。
ライブ会場に貼りだされている次観たいと思うイベントのチケットをその場で買って帰ったりもしていた。

そこにオールナイトイベントやクラブイベント、クラブミュージックという要素は皆無で、むしろそんなものは「どうせチャラいし怖い」という勝手な先入観で持って喰わず嫌いのまま自発的に避けていたように思う。(その先入観から生じていたライブハウスとクラブの壁みたいなモノは数年後に綺麗さっぱり取り払われるわけだけど)


なので僕にとってのクラブという存在自体は、もしかしたらこの作品に登場する関係者の皆様の大半とは逆行しているのかも知れない。



観ている途中で、まずそう感じた。





二十歳手前くらいから友達と続けていたロックバンドが音楽性の変化と共に5年くらい前に”OCTAVIO”という名前になって活動し始めたころ。

バンド活動の右も左も何も分からずのときに、音響の師・犬島さんが運営するスタジオ”Wansk Studio”というスタジオで働き始めたことをきっかけに、スタジオでSundayカミデさんに出会い、A.S.Pとしゃかりきコロンブス。にメンバーとして誘ってもらい、それからというものライブ出演でオールナイトと言えばほとんどの会場が「クラブ」と呼ばれる場所だった。
そしてCLUB NOONの舞台でも何度か演奏した。






ステージ上から見える大勢の人がキラキラと踊る景色と、2階の楽屋スペースのソファーに聴こえて来る音と覗き観る共演者のステージ。
そんなNOONで初めて共演という形で出会うことになったのがマッカーサーアコンチであったり、mama!milkであったり。。



要するに10代のころに遊んだ経験の無い空気感やシステムの場所のステージに先に立っていた。それこそが僕とクラブの出会いだったように思う。




当時はまだまだクラブを取り巻く状況も成立している仕組みも何もかもがわからずで、(ああオールナイトイベントというのはこういうもんなんだな)と思ってただただ演奏していただけだったけど、今、風営法の取り締まりをきっかけにものすごく特別なことになってしまった。
その後OCTAVIOやOBUTSUDAN-SUMINOに集中するようになって以降はもう何年もNOONには行っていない。


作品を観ながら、純粋にクラブで遊んだ経験の無かった僕は、10代のころの先入観を先に思い出した。


だからこそ作品の前半、正直に言って関係者の皆様の発言には若干の違和感を感じた。
「踊っちゃいけないなんておかしい。」
「法律が古いままなのがいけない。」
「クラブは怪しいところなんかじゃない。」
「クラブの文化が正しく理解されていない。」

↑(上記は引用ではなく僕の記憶に残っている発言のイメージ)




それは関係者の主張を通したいだけのインタビューのように見えた。

そこには前進の糸口は見えてこなかった。
クラブに馴染みの無い人の大半は、クラブは怪しくて怖くて、どこかしら健全じゃないというイメージを持っていると思う。オールナイトイベントというシステム自体もそのイメージに加担してしまっている。(本当は素晴らしき日本の音楽文化であるにも関わらず)
そこをまず理解してまず受け入れないとこの問題は前に進まない。
首謀者、表現者と世間一般。そして古くから変わっていない法律。
それぞれのズレをまず受け入れないと前に進まないんじゃないか。


そう思いながら作品を見ていた。


そしたら中盤から関係者の発言のベクトルが変わって来た。
問題を感情的にではなく一歩引いて冷静に捉えようとしている姿勢が伝わってきた。
今まで当たり前に行使し、享受していた自由が実は自由では無かったのだ、という事実。
知らなかった。考えたこともなかった。


それは僕に取ってもリアルだった。
作品内で時間の流れや心境の変化が感じられた。そこには確かな希望があった。


これは、この作品に登場するアーティストやNOON関係者やイベント「SAVE THE NOON」に参加したお客さんだけの問題なんかじゃない。

もちろん、僕も踊らせる側としてその一人であり、また踊る側としてもその一人。
音楽で踊ったことのある全ての人に関係のあることだと思う。





そして、さらにその先、管理社会の進行の先にあるものは何か。





戦争。


それらが風営法、TPP、秘密保護法、あらゆる管理制度から繋がっている。


もしかしたらこの先、音楽表現自体が違法になる時代が来るかもしれない。


人前で歌ったら逮捕。楽器鳴らしたら逮捕。大きな音を出したら逮捕。くらいの事になるかもしれない。


SAVE THE CLUB NOONはそんな想像を運んできてくれた。
決して大げさな想像では無いと思う。






僕は今の時代に生きながらできる限り多くのことを、現代の常識やシステムや法律を基準としてではなく、古来の人間の自然な在り方を中心に考えたい。



未来永劫、誰一人として人間の根源的な自由を奪ったり、管理してはいけない。
生命の歓喜の表現、踊ることもその中の重要なひとつだ。






P.S.
一緒に祭りを作ってきた仲間であるからこそもあるかも知れないけど、PIKA☆ちゃんの言ってることはやっぱり平たくてリアルで全然かっこつけてなくて、すっと染み込んで来た。おつかれさまやで!
宮本監督にはまだお会いしたことが無いのだけれど、佐伯慎亮さん、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました!






2014年1月1日水曜日

(((PHOTO)))






(((新年のGOAISATSU)))

(((((祝)))))


新年あけましておめでとうございます。



昨年は実に81本(OCTAVIO、ワンダフルボーイズサポート、弾き語り出演含む)のライブを行うことができました。

数が多ければ良いというものでは無いと思いますが、確実に自己最多出演でした。


北から南、西から東、本当にさまざまな地域のさまざまな方々にお世話になり、また多大なご迷惑もかけながらの全国行脚の旅でした。







2013年上半期。
ありがたく正式なライブオファーをいただき訪れた箇所もありましたが、ほとんどはリリースも何の話題性も無い中、とにかくライブの予定を取り付けてもらって回れるところを回るという無鉄砲なツアーでした。

それはソロ活動を活発化させるべく、まずは自分自身を奮い立たせるためであったことと、震災以降、被災地や震災自体、引いては原発のことなどに対する自分の意識の薄さ、都会を中心とした中央集権的な社会構造に疑問の念が生じたこともあり、『もっと日本の事を知りたい。』『他人事に思えない場所を増やしたい。』という思いから始まり、あの地域のあの景色が見たい、あの地域のあの祭りに行きたい、という思いもあり、『自分の表現がもっと評価される居場所を見つけたい。』『売れたい。』などという煩悩も付きまといながらも(笑)、なんとか人のつながりと飛び込み営業のようなことに頼って、各地を回らせてもらいました。

僅かな貯金は早々に底をつき、支払ったり返済する義務のある要件を先延ばしに先延ばしにしました(笑)。











そして下半期。
8月末に大好きなZOMBIE FOREVERというレーベルからリリースすることになったカセットテープ作品『ISLAND HEAD』のリリースツアーとして約3ヶ月間で回った17都道府県20箇所も、12月15日を持って全行程を無事終了しました。


上半期で知り合った何人かの方々とは本当に深い繋がりができ、しっかりと企画イベントとして回れた箇所がほとんどでした。下半期も含めてこれからも微力ながら力になっていきたいと思える場所に出会いました。

『ISLAND HEAD』と同時期に『I Love SUSHIてぬぐい』も発表し、カセットテープとグッズの売上と、ありがたいことに交通費やギャラもいただけるようになり、上半期で抱えた大赤字分を巻き返し、帳消しにできました。 

心からほっとしました(笑)。




この先も、お世話になった各地の皆様には、自身の成長と共に長い時間をかけて少しずつ恩返ししていきたい、いかねばという気持ちでいっぱいです。そういった意味で売れたいと、思っています。売れたいです。









 


下半期のリリースツアーもラブソファツアーと終盤を除くほとんどがでこぼこな一人旅でしたが、刺激的で野生的な出会いと出来事に満ち満ち溢れていました。











今年は新しい音源制作に精を出すべく、心の底から納得のいく作品が完成するまでは自らツアーを回るのはいったんお休みします。
月に10日ほど、制作のみに集中する期間を作って、時間の限り日々粛々と、部屋に篭って自らの音と向き合いたいと思っています。

ただ、呼んでいただけたらどこへでも出向きます。既に遠方からお誘いいただいている何本かは決定していて、本当に楽しみです。


それでは、今年もよろしくお願い致します。



ポクポク。。。




2014年元旦
OBUTSUDAN‐SUMINO