2014年1月9日木曜日

『松江へ行くのだ。』

松江へ行くのだ。













松江はヒントをくれる。


この時代を生き抜くためのヒント。


この先の未来を明るいものにしていくためのヒント。









何を信じて、何と向き合うのか。






町、人、風景、真心...







それはきっと太古のむかしからただそこにあるもの。










何を疑い、何に背を向けるのか。






権力、体制、利便性...






それはきっと、高度経済成長期以降の日本を表面上「豊か」にしてきたもの。


今まさにその在り方を見直すべきもの。




松江はヒントをくれる。


答えを見つけるのは私。
声を出すのは私。






だから今日も私は松江に行くのだ。




音を紡ぎに松江へ、行くのだ。



【詳細】

2014年1月3日金曜日

SAVE THE CLUB NOONを観てきた。

もう去年の暮れの話になるけど、映画『SAVE THE CLUB NOON』を観に、十三の第七藝術劇場に行ってきた。


僕の10代のころの音楽遊びと言えば、家でCDを聞いたり、音楽雑誌を読んだり、インターネットやケーブルテレビでライブ映像を観て熱くなり、好きになったバンドのチケットをぴあとかローソンチケットとかで買って、当日の夕方に家を出てライブハウスに足を運んでTシャツ一枚で最前線で汗だくになって叫び、踊り狂ってその日の夜に家に帰ってくるという、典型的なライブハウスキッズのそれだったように思う。
ライブ会場に貼りだされている次観たいと思うイベントのチケットをその場で買って帰ったりもしていた。

そこにオールナイトイベントやクラブイベント、クラブミュージックという要素は皆無で、むしろそんなものは「どうせチャラいし怖い」という勝手な先入観で持って喰わず嫌いのまま自発的に避けていたように思う。(その先入観から生じていたライブハウスとクラブの壁みたいなモノは数年後に綺麗さっぱり取り払われるわけだけど)


なので僕にとってのクラブという存在自体は、もしかしたらこの作品に登場する関係者の皆様の大半とは逆行しているのかも知れない。



観ている途中で、まずそう感じた。





二十歳手前くらいから友達と続けていたロックバンドが音楽性の変化と共に5年くらい前に”OCTAVIO”という名前になって活動し始めたころ。

バンド活動の右も左も何も分からずのときに、音響の師・犬島さんが運営するスタジオ”Wansk Studio”というスタジオで働き始めたことをきっかけに、スタジオでSundayカミデさんに出会い、A.S.Pとしゃかりきコロンブス。にメンバーとして誘ってもらい、それからというものライブ出演でオールナイトと言えばほとんどの会場が「クラブ」と呼ばれる場所だった。
そしてCLUB NOONの舞台でも何度か演奏した。






ステージ上から見える大勢の人がキラキラと踊る景色と、2階の楽屋スペースのソファーに聴こえて来る音と覗き観る共演者のステージ。
そんなNOONで初めて共演という形で出会うことになったのがマッカーサーアコンチであったり、mama!milkであったり。。



要するに10代のころに遊んだ経験の無い空気感やシステムの場所のステージに先に立っていた。それこそが僕とクラブの出会いだったように思う。




当時はまだまだクラブを取り巻く状況も成立している仕組みも何もかもがわからずで、(ああオールナイトイベントというのはこういうもんなんだな)と思ってただただ演奏していただけだったけど、今、風営法の取り締まりをきっかけにものすごく特別なことになってしまった。
その後OCTAVIOやOBUTSUDAN-SUMINOに集中するようになって以降はもう何年もNOONには行っていない。


作品を観ながら、純粋にクラブで遊んだ経験の無かった僕は、10代のころの先入観を先に思い出した。


だからこそ作品の前半、正直に言って関係者の皆様の発言には若干の違和感を感じた。
「踊っちゃいけないなんておかしい。」
「法律が古いままなのがいけない。」
「クラブは怪しいところなんかじゃない。」
「クラブの文化が正しく理解されていない。」

↑(上記は引用ではなく僕の記憶に残っている発言のイメージ)




それは関係者の主張を通したいだけのインタビューのように見えた。

そこには前進の糸口は見えてこなかった。
クラブに馴染みの無い人の大半は、クラブは怪しくて怖くて、どこかしら健全じゃないというイメージを持っていると思う。オールナイトイベントというシステム自体もそのイメージに加担してしまっている。(本当は素晴らしき日本の音楽文化であるにも関わらず)
そこをまず理解してまず受け入れないとこの問題は前に進まない。
首謀者、表現者と世間一般。そして古くから変わっていない法律。
それぞれのズレをまず受け入れないと前に進まないんじゃないか。


そう思いながら作品を見ていた。


そしたら中盤から関係者の発言のベクトルが変わって来た。
問題を感情的にではなく一歩引いて冷静に捉えようとしている姿勢が伝わってきた。
今まで当たり前に行使し、享受していた自由が実は自由では無かったのだ、という事実。
知らなかった。考えたこともなかった。


それは僕に取ってもリアルだった。
作品内で時間の流れや心境の変化が感じられた。そこには確かな希望があった。


これは、この作品に登場するアーティストやNOON関係者やイベント「SAVE THE NOON」に参加したお客さんだけの問題なんかじゃない。

もちろん、僕も踊らせる側としてその一人であり、また踊る側としてもその一人。
音楽で踊ったことのある全ての人に関係のあることだと思う。





そして、さらにその先、管理社会の進行の先にあるものは何か。





戦争。


それらが風営法、TPP、秘密保護法、あらゆる管理制度から繋がっている。


もしかしたらこの先、音楽表現自体が違法になる時代が来るかもしれない。


人前で歌ったら逮捕。楽器鳴らしたら逮捕。大きな音を出したら逮捕。くらいの事になるかもしれない。


SAVE THE CLUB NOONはそんな想像を運んできてくれた。
決して大げさな想像では無いと思う。






僕は今の時代に生きながらできる限り多くのことを、現代の常識やシステムや法律を基準としてではなく、古来の人間の自然な在り方を中心に考えたい。



未来永劫、誰一人として人間の根源的な自由を奪ったり、管理してはいけない。
生命の歓喜の表現、踊ることもその中の重要なひとつだ。






P.S.
一緒に祭りを作ってきた仲間であるからこそもあるかも知れないけど、PIKA☆ちゃんの言ってることはやっぱり平たくてリアルで全然かっこつけてなくて、すっと染み込んで来た。おつかれさまやで!
宮本監督にはまだお会いしたことが無いのだけれど、佐伯慎亮さん、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました!






2014年1月1日水曜日

(((PHOTO)))






(((新年のGOAISATSU)))

(((((祝)))))


新年あけましておめでとうございます。



昨年は実に81本(OCTAVIO、ワンダフルボーイズサポート、弾き語り出演含む)のライブを行うことができました。

数が多ければ良いというものでは無いと思いますが、確実に自己最多出演でした。


北から南、西から東、本当にさまざまな地域のさまざまな方々にお世話になり、また多大なご迷惑もかけながらの全国行脚の旅でした。







2013年上半期。
ありがたく正式なライブオファーをいただき訪れた箇所もありましたが、ほとんどはリリースも何の話題性も無い中、とにかくライブの予定を取り付けてもらって回れるところを回るという無鉄砲なツアーでした。

それはソロ活動を活発化させるべく、まずは自分自身を奮い立たせるためであったことと、震災以降、被災地や震災自体、引いては原発のことなどに対する自分の意識の薄さ、都会を中心とした中央集権的な社会構造に疑問の念が生じたこともあり、『もっと日本の事を知りたい。』『他人事に思えない場所を増やしたい。』という思いから始まり、あの地域のあの景色が見たい、あの地域のあの祭りに行きたい、という思いもあり、『自分の表現がもっと評価される居場所を見つけたい。』『売れたい。』などという煩悩も付きまといながらも(笑)、なんとか人のつながりと飛び込み営業のようなことに頼って、各地を回らせてもらいました。

僅かな貯金は早々に底をつき、支払ったり返済する義務のある要件を先延ばしに先延ばしにしました(笑)。











そして下半期。
8月末に大好きなZOMBIE FOREVERというレーベルからリリースすることになったカセットテープ作品『ISLAND HEAD』のリリースツアーとして約3ヶ月間で回った17都道府県20箇所も、12月15日を持って全行程を無事終了しました。


上半期で知り合った何人かの方々とは本当に深い繋がりができ、しっかりと企画イベントとして回れた箇所がほとんどでした。下半期も含めてこれからも微力ながら力になっていきたいと思える場所に出会いました。

『ISLAND HEAD』と同時期に『I Love SUSHIてぬぐい』も発表し、カセットテープとグッズの売上と、ありがたいことに交通費やギャラもいただけるようになり、上半期で抱えた大赤字分を巻き返し、帳消しにできました。 

心からほっとしました(笑)。




この先も、お世話になった各地の皆様には、自身の成長と共に長い時間をかけて少しずつ恩返ししていきたい、いかねばという気持ちでいっぱいです。そういった意味で売れたいと、思っています。売れたいです。









 


下半期のリリースツアーもラブソファツアーと終盤を除くほとんどがでこぼこな一人旅でしたが、刺激的で野生的な出会いと出来事に満ち満ち溢れていました。











今年は新しい音源制作に精を出すべく、心の底から納得のいく作品が完成するまでは自らツアーを回るのはいったんお休みします。
月に10日ほど、制作のみに集中する期間を作って、時間の限り日々粛々と、部屋に篭って自らの音と向き合いたいと思っています。

ただ、呼んでいただけたらどこへでも出向きます。既に遠方からお誘いいただいている何本かは決定していて、本当に楽しみです。


それでは、今年もよろしくお願い致します。



ポクポク。。。




2014年元旦
OBUTSUDAN‐SUMINO





2013年11月30日土曜日

2013年11月21日木曜日

僕と銀杏BOYZ。

来年2014年の1月15日に銀杏BOYZの新しいアルバムが9年ぶりに出る。

1月15日はGOING STEADYが解散した日。
1月15日は9年前に銀杏BOYZのファーストアルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』が2枚同時リリースされた日。
1月15日はドラムの村井さんの誕生日。

9年前のその日。正確にはその前日。僕は19歳になったばかりだった。

天王寺駅ビルMIOの8階にあるCDショップ『新星堂』に入り、我慢できなくって、視聴機の前でヘッドホンを両耳に押し付け、ボリュームのツマミをおもいっきり右に回し、1曲目『日本人』のイントロで泣いた。鼻水もだらだら出るくらいに泣き続けて、何曲か聴きとおして、予約していた2枚のCDを買った。


その夜、その時やってたバンド『うちまた少年』の練習日だったが、玉出にあるベースのヨシタカの家に集まって、メンバー全員で聴いた。

僕はアルバムが2枚終わりきるまで口の中にあったガムを吐き出す動作すらできなくなって、足の痺れもそのままに、その場でただただ固まって聴いていた。


そしてガムを途中で飲み込んだ。 ごくん。




当時、26だか27歳のミネタくん、村井さん、チンくん、アビコさんの4人で作ったそのアルバムを手にしたその日から、僕はどうにかなってしまった。


どうにかなってしまったんだ。









そして、僕は27歳になった。当時の彼らと同じ年代になった。
9年ぶりに出る新しい2枚同時リリースのアルバムを、心の底から楽しみにしている。

27歳の僕は、聴いたらどうなっちゃうんだろう。












ごくん。

2013年11月19日火曜日

=東北ツアー4日目(最終日)@宮城•仙台Första=

2013年11月4日(月・祝)

山形にてライブを終えたあと、真夜中にようやく主催の長井くんと宿泊する予定のスタジオに到着。


が、








開かず、、入れず、、、











ちーーーーーーーーーーーーーん。













長井くんと共に漢(おとこ)の車中泊。















朝、目が覚めたらそこは立派な山中だった。






そしてすぐそばにあった、最上三十三ヶ所巡礼の五番、山上にある唐松のお堂に辿り着いた。






お堂に礼拝し、非常にたくさんの木魚と鐘に囲まれた。

ポクポク。。

ポクポク。。。





ちーーーーん。

 





礼拝後、本日の会場に移動。



ゾンフォーよろしくナイスDIYな感じにてイベントがスタート。







昨日は企画の主旨によりお酒も出したのだ。


屋久島の焼酎、三岳という非常にパンチが強いお酒。
しかしながらやはり焼酎はストレート、もしくはロックで飲みたいものであるからして。。







今日の僕のステージは鹿の角に囲まれていた。



mothercoatカフェセットも渋かった。


新曲CODAMAも未完成ながらもライブで披露できるようになり、トリのkanina前にアンコールをいただき、恐縮ながらもNASSAU&GELTAで締めさせていただいた。


昨日に引き続きkaninaの深遠で柔らかい世界観に浸り。






東北ツアー全イベントが終了。






しばし談笑ののち、


















ダウン。

















解脱。










ちーーーーーーーーーーーーん


















どうやらたくさんの関係者に多大な迷惑をかけたらしいが半分くらいしか記憶になく、


目が覚めたのはまたも長井くんの車内。











漢(おとこ)の車中泊はまさかの予定外連泊となったのであった。









しぶしぶな感じの長井くん。









と、帰りのバスの時間まで遊ぶことに。








大衆食堂の半田屋でご飯食べ、そのあと
ながいくんの産まれ故郷の石巻へ連れていってもらったのである。




ながいくんと石巻の海。


流されたり取り壊された家のあとに草木が生い茂って包み込んでいた。




感じたのは人間が自然に還元されていく大きな流れのようなもの。
現場の現実と折り合いをつけながら日常を継続していくこと。



震災後にようやく時間をかけて行けて、本当によかった。



総じて、二年半の月日が起こした還元と輪廻を感じさせてもらったのであった。







夜のバスに乗り、仙台から大阪に帰還。







今回の東北ツアーでは、




鞄パンパンに詰め込んで持って行った音源『ISLAND HEAD』は幸い全て売り切れた。


全体としても初回盤セットは残り僅か。










ありがとう!これからもATOMOS CLUBの発展を願う。



カセットリリースツアー珍道中は年末まで、まだまだ続く。













ポクポク。。。